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3つ目の年号を迎えて

  • 時代も令和の年号となり、少し昔のことを思い出します。少しといっても、昭和という時代なのです。現在、傘寿を迎え、こういう記事を書こうと考えました。

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  • 私が大阪に来たのは、高校を卒業してからです。もう60年以上前の時代です。高校を卒業したときに、就職などで西淀川区の御幣島あたりに居を構え、そこから社会人生活が始まったのを覚えています。
  • 高知商業高等学校を卒業し、大学に進学する人たちが少ない中、多くの同級生たちは商業関連の職種に就職していきました。

一人暮らしを始めたアパート

  • 当時、アパートを借りたときにアパートの管理人の女性がいたのを覚えています。30歳ぐらいだったと思います。
  • 実は、1年ぐらい前、尼崎の方に買い物へ行く機会があり、たまたま御幣島を通ったついでに昔の居住地があったので、少し車を停めて降りてみたい、という気持ちに駆られました。
  • アパートはそのまま、残っていました。アパートが残っていただけでも、西淀川区の高架道路のノスタルジーを彷彿とさせるに十分でした。
  • ただ、そこに「現在」誰がいるのか、も気になりました。
  • そこで足を動かして、アパートを訪れ、「管理人はいますか」と声をかけてみようとしました。
  • すると、60年前の管理人の女性がそこにいることがわかり、実に60年ぶりの奇跡とも言える再会だったのです。
  • もう90歳を超えていながら、昔お世話になった場所で再会できたことは感極まるものでした。

そして王貞治

  • 王貞治の話になるんですが、私にとっても王貞治は身近な存在でした。
  • 前テレビでみましたが、平成生まれの名門大学(早慶、国公立大など)に合格した学生たちがクイズ番組に出演していたのを覚えています。
  • そこでこの人物の名前は?という問題があったのです。

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  • すると、昭和生まれの方から見れば不思議と思うかもしれませんが、ほとんどの学生が答えられなかったのです。
  • これは本当に時代が変わったな、と感じたときでした。昭和を生きた私達からすれば、とても簡単な問題なのですが。。。
  • それはさておき答えは、昔の方であればご存知の「王貞治」です。
  • 中華民国出身、1940年5月生まれの80歳(2020年12月現在)です。高校は早稲田実業(東京)でした。

高知商(高知) vs 早稲田実業(東京)

  • 実は、王貞治が全国的に知名度を上げるきっかけとなったのが王貞治が高校2年生のときのセンバツ(1957年)でした。
  • 決勝まで進んで、決勝でもピッチャーとして活躍し、ホームランも打ちました。そして優勝したことは王貞治の知名度を上げるきっかけとなったと言われています。 
  • その決勝のときの対戦相手というのが、私の母校、高知商だったんです。ですので、高校を卒業したばかりの私は甲子園に駆けつけ両校の対戦を目の当たりにして、エキサイティングな試合を楽しんでいました。高知商は5-3で敗れ、準優勝となりました。
  • 高知商の先発投手は小松俊広という投手で、後に王貞治とともに巨人に入団することになり、同僚となったのです。もちろん、小松俊広も80歳となりました。実はわたしは高校時代に生徒会で小松俊広を近くで見ていたので、顔も覚えています。今でも、「こんな顔だったな」と鮮明に記憶が蘇ってきます。
  • その後、王貞治は世界のホームラン王、不滅の大記録868を築き上げることになる、ということをこのときに想像する由はありませんでした。
  • このような名選手の試合を目の前で見れたことはいい思い出になっています。

サラリーマン時代から開業へ

  • サラリーマン時代は、建設関連業の会社に勤めていました。そこで今の奥さんと知り合いました。
  • 実は、今の整骨院の仕事をするきっかけとなったのが、いわゆる脱サラの後の生活を考えてのこと、だったんですね。柔道整復及び鍼灸の資格は若いときにすでに取っていたんですが、実際にそれらを生かしての仕事、というのは脱サラの後でした。
  • 整形外科に勤務しながら、修行をしていた頃が懐かしく感じられます。大阪市港区にある整形外科では、いろいろなことを教えてもらいました。
  • その後、整骨院を開業したんですが、もうそれも30年以上になります。いろんな患者さんとのめぐりあいがありました。
  • 今まで、仕事してこれたのも周囲の皆さんや患者さんのおかげです。

古希を迎えて

  • 古(いにしえ)の時代では、70年以上生きるのは、希(まれ)なことであるということから、古希という名前が70歳の人に対してつけられた呼称とのことです。
  • 私が高校生の時に、教鞭をとっていた先生で、国語の先生がいました。当時、私達より35歳年上でした。50歳代ですね。
  • 私達同級生たちが、古希を迎えたとき、記念に冊子を作成しようということになりました。同級生たちの寄せ書きを集めて、編集を行いました
  • その時、この国語の先生からも寄せ書きを頂くという話が出たのです。そうです、まだご存命だったのです。105歳でした。
  • その時の寄せ書きが面白い内容だったのですが、「70歳はまだ初老の入り口に過ぎない」という内容だったのです。古希どころか、70歳は当たり前かのように言っていたのですね。ご自身が長命だったからこそ言えるのかもしれません。

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  • さてその先生、めでたく皇寿をお迎えになり、お亡くなりになりました。皇寿まで生きる、と頑張って来られたのでしょうね。男性の方で、皇寿を迎えられる方は、国内を見ても、数えるほどしかいないと思います。
  • 皇寿についてですが、某サイトの文言を引用します。
  • ”皇寿は、数え年で111歳を祝う長寿祝いです。皇寿の由来は、「皇」という漢字の上下を分解して、「白」は99歳を祝う時期を意味する白寿、「王」は「十」の上下に「一」をつけたものと考え、「99+10+1+1=111」となるため、111歳をお祝いする年の呼び名になったとされています。”
  • 高校時代には、多くの思い出を作れたと思います。今の人生も、高校時代が原点となっています。
  • 今でも、高校時代の友人と時々会って会食を楽しんでいます。癒やしにもなりますね。